真夏並みの暑さは、和らいだものの日中は、まだまだ暑いですね。。。
映画【HERO】も昨日、公開されましたね?
各映画館(475スクリーン)も軒並み満員だったようですが、残念ながらまだ
私は観ていません。も~少しあとで行くつもりなので、ビョンホンssi との
スクリーンでの再会?はもうチョット我慢です。。。
今日9月9日は≪重陽の節句(ちょうようのせっく)≫です。
≪重陽の節句≫の起源は、ほかの節句と同様、古来中国に遡ります。
中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である≪9≫が
重なる9月9日を、「重陽」として節句のひとつとしてきました。
中国ではこの日、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を袋に入れて丘や山に登ったり、
菊の香りを移した<菊酒>を飲んだりして邪気を祓い、長命を願うという
風習がありました。
これが日本に伝わり、平安時代には≪重陽の節会(ちょうようのせちえ)≫として
宮中の行事となり、江戸時代には武家の祝日になったそうです。
その後、明治時代までは庶民の間でもさまざまな行事が行われていたといいますが、
残念ながら現在では、寺社などで行事を行う程度で一般にこれといった行事は
あまり行われていないようです。
京都の上賀茂神社では、無病息災を祈る≪重陽の節会≫が現在でも
行われています。9日には、境内細殿前の土俵の左右から、弓矢を手にした
二人の刀祢(とね)が横とびしながら二つの立砂の前へと現れ、「カーカーカー」
「コーコーコー」と鳥の鳴きマネをしたあと、近所の子供が相撲を行う
烏相撲(からすすもう)や菊の被綿(きせわた)の神事がとり行われているそうです。
平安時代以前は、農山村や庶民の間で秋の田畑の収穫が行われる時期に
≪栗の節句≫とも呼ばれて、栗ご飯などで節句をお祝いしました。
その後も農民の間では、収穫祭の意味合いが強く受け継がれていたそうです。
さかんに行われていた≪重陽の節句≫が、現代に引き継がれていないのは、
旧暦から新暦に暦が移り、まだ菊が盛んに咲く時期ではなくなってしまったことが
大きいのかもしれません。

≪重陽の節句≫は別名、≪菊の節句≫とも呼ばれます。
宮中行事としては天皇以下が『紫宸殿』に集まり、詩を詠んだり菊花酒を
飲んだりして、けがれを祓い長寿を願いました。また、菊の被綿(きせわた)といって、
≪重陽の節句≫の前夜にまだつぼみの菊の花に綿をかぶせて菊の香りと
夜露をしみこませたもので、宮中の女官たちが身体を撫でたりもしたといい、
枕草子や紫式部日記の中でもその風習をうかがうことができるそうです。

中国では、菊の花には不老長寿の薬としての信仰があり、鑑賞用としてよりも
先に薬用として栽培されていたようです。
漢方でも薬効を認められている菊の花の種類は結構あるようです。
その意匠が、皇室の紋章ともされている≪菊≫は、まぎれもなく日本を代表する
花といえますが、そのルーツは、薬用として中国から伝わったものでもあるようです。
薬用ということはさておき、日本では食用の菊花もさかんに栽培されています。
日本で菊を食材とするようになったのは、室町時代のことらしく、現在では青森県、
秋田県、山形県などの生産地を中心に、さまざまな菊料理が作られているそうです。